第39課 万次郎
万次郎
萬次郞
1827年、高知の小さな村に元気な男の子が生まれました。名前は万次郎。家族は魚をとって暮らしていました。9歳のときにお父さんが亡くなったので、万次郎は家族のために、働かなければなりませんでした。
1827 年,在高知的小村莊出生了一位健康的男孩,名字叫萬次郞。家族以捕魚維生。9歲時父親過逝,萬次郞為了家人必須要工作。
1841年、14歳のとき、村の男4人と海へ魚をとりに行きました。強い風で船が流されて、遠い南の島に着きました。 鳥島という無人島で、そこで男5人だけの生活が始まりました。
1841 年,14 歲的萬次郞和村裡四位男子一起到海邊捕魚,被強風吹到南方的島上,那是一處叫做鳥島的無人島,在那裡開始過著只有五個男人的生活。
143日後に、アメリカの捕鯨船に助けられました。アメリカの捕鯨船は航海を続けて、ハワイに着きました。村の男4人はハワイで降りましたが、万次郎はアメリカへ行きたいと言いました。船長は、頭がよくて、元気な万次郎が気に入ったので、アメリカへ連れて行きました。
143 天後被美國的捕鯨船救起。美國的捕鯨船繼續航行到夏威夷。村裡的四位男子在夏威夷下船,但萬次郞說他想去美國,船長很喜歡聰明又有活力的萬次郞,就把他帶去美國。
1843年、万次郎のアメリカ生活が始まりました。船長の息子になって、学校に通いました。英語、数学、造船などを勉強しました。万次郎はアメリカに留学した初めての日本人だと言われています。
学校を出てから、しばらく働いていましたが、万次郎は国へ帰りたくなりました。そして、ハワイにいる村の男といっしょに国へ帰ろうと思いました。
1843 年,萬次郞開始在美國生活,他成為船長的養子,並開始上學。學習英語、數學、造船等。萬次郞可說是第一位到美國留學的日本人。
學校畢業後,工作了一陣子,萬次郞變得想要回日本,而且想和在夏威夷的那四位男子一起回日本。
そのころ、日本は江戸時代でした。幕府は日本人が国の外へ出ることも、外国人が日本に入ることも禁止していました。一度国を出た日本人が帰ることも許していませんでした。
1851年、それでも、万次郎たちは日本に帰りました。もちろん、すぐに捕えられて、いろいろ調べられました。1年9か月後に許されて、やっとうちへ帰ることができました。村を出てから、11年10 か月後でした。
那時是江戶時代的日本。幕府禁止日本人離開日本、也禁止外國人進入日本,當然也嚴禁曾出過國又想回日本的。
1851 年,即使如此萬次郞還是回到日本,當然立即被逮捕,進行調查。一年又九個月後被釋放,總算可以回到家裡。那已是離開家鄉後,十一年又十個月的事了。
そのころ、イギリスやアメリカなどの船が日本の港に来て、水や食べ物が欲しい、貿易をしたいと言いました。幕府は外国のことを知っている人や、英語が話せる人が必要になりました。
那時,英國和美國等等的船來到日本港口,需要水和食物,想要和日本進行貿易。幕府需要熟悉外國事物且會說英語的人才。
1853年、万次郎の新しい生活が始まりました。幕府から武士の身分と名字をもらって、万次郎は中浜万次郎になりました。そして、通訳、翻訳、英語の先生、造船の仕事などをして国のために頑張りました。
1853 年,萬次郞開始新的生活。幕府給他武士的身份和名字,成了中濱萬次郞,而且從事口譯、翻譯、英語教師、造船業等工作為國家效力。
1868年、明治維新で、日本は大きく変わりました。多くの若い人が海外へ勉強に行きました。外国人が大勢日本へ仕事に来ました。万次郎が教えた人たちも新しい日本のために働きました。
1898年、亡くなりました。
1868 年,因為明治維新日本大改變。很多的年輕人到國外學習,許多外國人來日本工作。萬次郞所教過的人也為嶄新的日本努力。
1898 年,過逝。
第40課 常識
常識
基本常識
わたしのうちに今、ブラジルのアナさんがホームステイしています。アナさんがかぜを引いたとき、母は「シャワーを浴びたり、お風呂に入ったりしたらだめよ」と言いました。アナさんは「どうしていけないか、わかりません。病気のときは清潔が大切だし、私のうちでは熱が下がるように、シャワーを浴びたり、ぬるいお湯に入ったりします」と言いました。それを聞いて、私たちはびっくりしました。熱があったり、かぜを引いたりしているときは、お風呂は入らないほうがいいと信じていたからです。学校で友達に聞いてみましたが、みんな「お風呂は入らないほうがいいと思う」と言いました。どうしてそう思うか、聞きました。「常識だと。子どもの時から、いつも言われたよ。」私はどうしてそんな常識ができたか、調べてみました。
我家現在住著一位來自巴西叫做阿娜的寄宿生。阿娜感冒的時候母親說「淋浴、泡澡是不可以的哦」阿娜說「為什麼不行呢?生病的時候清潔衛生很重要,而且在我的家鄉為了退燒,會淋浴、泡溫水」。聽到這樣的說法我們都很驚訝。因為一直認為發燒感冒時不要泡澡比較好。在學校問了問同學,大家都說「不要泡澡比較好」。那,為什麼會這麼覺得呢?「這是基本常識,從小都這麼說啊」。我查了一下為什麼會有這樣的基本常識。
昔、日本の家は冬とても寒かったので、熱いお風呂に肩まで入って体を温める習慣ができました。熱いお風呂は気持ちがいいですが、長く入ると、疲れます。体の調子が悪いとき、お風呂に入って疲れると、病気がひどくなります。それで、かぜのときや熱があるときは、お風呂に入ってはいけないと思うようになりました。今は家の中も温かいし、シャワーもあるし、ほとんど問題はありませんが、昔の常識のとおりにしている人が多いのです。
在以前,日本的家庭因為冬天很冷,有泡到肩膀高的熱水中讓身體溫暖的習慣。泡熱水很舒服,但泡太久會累。身體狀況不好時,泡澡會覺得累,讓生病變得更嚴重。因此認為感冒發燒時是不可以泡澡的。現在的家裡都很暖和也有淋浴,基本上沒有問題,但依循古老基本常識的人還很多。
食べ物について昔から言われている常識もあります。「うなぎと梅干し」「すいかとてんぷら」などは一緒に食べると、おなかを壊すと言われています。医学的に正しいものはほとんどないのですが、多くの人がまだ信じています。
關於食物也有這樣的基本常識流傳著。「鰻魚和酸梅」「西瓜和天婦羅」等一起吃的話,會弄壞肚子。醫學上大多不是正確的想法,但還是很多人相信。
生活が変わっても、昔の常識をそのまま信じているのは変です。時々その常識が正しかどうか、どうしてその常識ができたか、考えてみたほうがいいでしょう。
即使生活改變,還是堅信以往的基本常識有點奇怪。偶爾還是多想想那個常識正確嗎?為什麼會有這樣的基本常識呢?比較好。
第41課 ロボットといっしょ
ロボットといっしょ
和機器人一起
日本は「ロボット大国」と言われている。「ロボット」と聞くと、自動車工場などをイメージするかもしれない。しかし、日本ではもっといろいろな所でロボットが使われている。
日本被譽為「機器人大國」。一聽到機器人或許會有汽車工廠的印象,但是,在日本有很多地方是在使用機器人。
今、日本では子どもの数が少なくなって、お年寄りがどんどん増えている。お年寄りが一人で生活するのは大変だ。体が自由に動かなくなって、ほかの人に手伝ってもらわなければならない人も多い。それで、人の世話をしたり、ペットになったり、体の動きを助けたりするロボットが作られている。
現今在日本小孩人數變少,老人人數不斷增加中。老人家一個人生活很辛苦。為了要讓身體可以自由移動,需要借助別人幫忙的人也很多。因此,製造出會照顧人、可當寵物、幫助身體移動的機器人。
よく売れているのはロボット掃除機だ。家の中をきれいに掃除してくれる。アザラシのロボットはかわいいし、人の言葉を聞いて、いろいろな表情をするので、お年寄りにとても人気がある。体操を教るロボットもある。いろいろな動きを教えてくれるので、そのとおりに体を動かすと、だんだん元気になって、あまりけがをしなくなる。体操ロボットも、アザラシロボットも介護施設でよく使われている。
最暢銷的是掃地機器人,幫你把家裡掃得乾乾淨淨。海豹造型的機器人不僅可愛、聽懂人話、也有各種不同的表情,很受長輩們歡迎。也有會教體操的機器人,會教各種不同的動作,照著做來動動身體,漸漸變得有精神,也不容易受傷。體操機器人也好、海豹造型的機器人也好,常使用於護理機構。
動かなくなった手や足の代わりに働いてくれるロボットもある。食事のときに、口まで食べ物を運んだり、歩くときに、手や足が使えるように、手伝ったりしてくれる。
也有取代不能動的手和腳的機器人,吃飯時會將飯菜送到嘴邊,走路時,能幫忙好像手腳一般使用。
確かに賢いロボットと一緒に生活できるのは便利で、すばらしい。ロボットだから、えさをやったり、散歩に連れて行ってやったりしなくてもいい。でも、毎日朝から晩までロボットだけと一緒だったら、ちょっと寂しいと思う。
確實,和聰明的機器人一起生活很方便、很不錯。因為是機器人不用餵飼料、也不用帶去散歩。但是,每天從早到晚都是機器人陪,總覺得有點寂寞。
第42課 肉を食べると
肉を食べると
吃肉的話…
世界中の人が食べる肉の量は毎年増えている。その大きな原因は人々の食生活が変わったからだ。日本でも魚や野菜より肉が好きな子どもが多い。
全世界人類吃肉的量每年持續增加中,最大原因是飲食習慣的改變。在日本也是喜歡吃肉的小孩比吃魚和蔬菜的更多。
今、世界では牛や羊、豚、鶏など、たくさんの家畜が飼われている。家畜の数は世界の人口の3倍以上で、今も増えている。増えた牛や羊を飼うのに、新しい草地が必要になる。それで、草地を作るために、世界中の森の木が切られている。森が少なくなると、地球は暖かくなる。そして、草地はだんだん砂漠化する。
現今,世界上飼養著牛、羊、豬、雞等家畜。家畜的數量是人類的3倍以上,現在仍在增加中。為了飼養這些牛羊需要有新的草地,因此為了新的草地,世界的森林中的樹木被砍掉。森林變少,地球暖化,草地漸漸沙漠化。
また、家畜のえさに麦やとうもろこし、大豆などの穀物がたくさん使われる。家畜は世界中の穀物の30%以上を食べている。それに、水やエネルギーも必要だ。1キロの牛肉を作るのに、11キロの穀物ト20,000リットルの水、7〜8リットルの石油が必要だと言われている。
另外,大量使用小麥、玉米、大豆等穀物當作家畜的飼料,家畜吃掉世界上30%以上的穀物。而且,也需要水和能源等。據說為了取得1公斤的牛肉會花掉11公斤的穀物和2萬公升的水及7~8公升的石油。
世界中の人々の9人に1人は食べる物がない。食べる肉の量を減らせば、食べ物がない人々のために、穀物を使うことができるかもしれない。人や地球を守るために、どんな食生活がいいか、私たちは考えなければならない。
世界上9個人中有一個人沒有食物可吃。如果減少肉的使用量的話,或許沒食物可以吃的人就有穀物可使用。為了守護人類和地球,我們必須好好仔細想想什麼樣的飲食生活是好的。
第43課
第44課 カレー
カレー
咖哩
カレーライスを食べたことがありますか。
カレーは、インドなどアジアのいろいろな国でよく食べられています。あなたの国にもありますか。日本のカレーと同じですか。日本では白いごはんの上にカレーをかけて食べるカレーライスが多いです。
你吃過咖哩嗎?
咖哩是在印度等亞洲國家常吃的食物,你的國家也有吧!和日本的咖哩相同嗎?在日本咖哩大多是淋在白飯上吃的。
カレーは明治時代の初めにイギリスから日本に紹介されました。18世紀にインドでカレーの味を知ったイギリス人が国へ帰って作りました。イギリスでは作り方をちょっと変えて、イギリス人が好きな味にしました。日本人はこのイギリスの作り方を習いました。
咖哩是明治初期從英國傳到日本的,18世紀時有位在印度嘗過咖哩味道的英國人回國後開始傳開,在英國的咖哩作法稍有不同,做成英國人喜歡的口味。日本人學習英國人的作法。
今のカレーにはいろいろな野菜が入っていますが、明治時代のカレーにはあまり入っていませんでした。肉は牛肉などのほかに、エビやカエルを使いました。値段も高すぎましたから、普通の人はあまり食べることができませんでした。
現在的咖哩加入各式各樣的青菜,但在明治時代的咖哩是不太加的,肉類除了牛肉外,會使用蝦子及青蛙。因為價格太貴普通人是不太能吃得起的。
明治時代の終わりに日本でカレー粉が作れるようになって、値段も安くなりました。いろいろな野菜も使われるようになりました。カレーは作り方が簡単だし、栄養もあるので、軍隊でよく作られました。軍隊でカレーを食べた人たちが、うちでもカレーを作って食べました。それで、日本中でカレーを食べるようになったと言われています。
明治後期日本發明咖哩粉,價格也變得便宜,並且加了各式各樣的青菜。咖哩做法簡單又有營養,軍隊常吃。在軍隊吃過的人也在家裡做來吃,因此,據說全日本就開始吃咖哩了。
1950年代に固形のカレールウができて、まえよりもっと作りやすくなりました。それで、カレーを食べる人が増えました。
カレーを使った食べ物は人気があって、カレーライスのほかに、カレーパン、カレーうどんなどもよく食べられています。
1950年代發明了咖哩塊,比以前又變得更容易做,因此吃咖哩的人增加了。
使用咖哩的食物很受歡迎,除了咖哩飯外,也常吃咖哩麵包、咖哩烏龍麵等。
アメリカのスーパーでは日本のカレールウをたくさん売っています。あるインド人はそれを買って食べてみました。 「うん、うまい。日本のカレーも悪くない」と言って、国へ買って帰りました。日本のカレーは日本料理と言ってもいいでしょう。
在美國超市,日本的咖哩塊很暢銷,有位印度人買來吃看看「哇!好吃!日本的咖哩也不錯哦」買了帶回國去。日本的咖哩也可以說是日本料理的一部份吧!
おいしくて、安くて、簡単に作れる日本のカレー。あなたも今晩はカレーにしませんか。
好吃、便宜、又輕鬆料理的咖哩,你今晚要不要也來一盤呢?
第45課 119番に電話をかける
119番に電話をかける
打電話給119
急に病気になったり、大きなけがをしたりした場合は、すぐ119番に電話をかけて、救急車を呼ばなければなりません。しかし、電話をしたのに、うまく話せなくて、時間を無駄にしてしまう場合があります。
突然生病、受重傷的情況時,必須立刻打電話给119叫救護車。但是,也有明明打了電話卻無法好好說明,浪費時間的狀況。
消防署で、こんな話を聞きました。
「ある日、119番の電話がありました。女の人が『赤ちゃんが、赤ちゃんが』と言いながら泣いているです。でも、赤ちゃんがどうしたのか、救急車はどこへ行けばいいのか、わかりません。『大丈夫ですから、落ち着いてください』と言って、やっと住所と名前を聞くことができましたが、救急車の出発が少し遅れてしまいました。急に家族が倒れたり、けがをしたりすると、たいていの人はびっくりして、ちゃんと話せなくなるんですね。」
在消防局聽到這樣的話。
「某天有人打了119的電話。有個女人邊哭邊說『小嬰兒!小嬰兒!』。但不清楚小嬰兒怎麼了?要救護車去哪?『不急,不要緊張』總算問出住址和名字,但救護車出車時間慢了。突然有家人倒下、或受傷時,大部份的人都會嚇到,無法好好說明」
こんなとき、どうすれば電話で必要なことをきちゃんと伝えることができるか、消防署の人に聞いてみました。
大切なことは次の4つです。
1まず、病気か火事か、言う。(病気の場合は救急車、火事の場合は消防車)
2名前と住所を言う。
3病院へ運ぶ人は男の人か女の人か、言う。年齢も言う。
4様子を説明する。
這樣的時候應該如何才能好好地傳達呢?請教了消防署的人。
重要的是以下這四項:
1 首先說明是生病還是火災(生病的話是救護車,火災的話是消防車)
2 說明名字和住址
3 說明要送去醫院的是男人還是女人,還有年紀
4 說明狀況
「電話のそばに、住所と名前、電話番号が書いてあるメモをはっておいてください。慌てていても、メモがあれば、それを読むことができます。気持ちも落ち着きます」と、消防署の人はアドバイスしてくれました。
非常の場合に、うまく電話がかけられるように、準備しておきましょう。
「請在電話機旁放置寫了住址、名字、電話號碼的備忘錄。即使緊急的時候有了備忘錄,照著唸,心就會定下來。」消防署的人給了這樣的建議。
請為特別的狀況、無法好好打電話時做準備。
第46課 いとこの長靴
いとこの長靴
表哥的長筒靴
僕は3歳のとき、パトカーに乗ったことがあります。
冬のある日の午後でした。友達の健ちゃんの家へ遊びに行こうと思いました。母は弟の世話で忙しそうでしたから、僕は「健ちゃんのうちへ行く」と言って一人で出かけました。お古の長靴をはいていました。いとこが大きくなって、はけなくなったので、くれたのです。もらったばかりで、うれしかったのをよく覚えています。
我3歲的時候坐過警車。
某個冬日的下午,想去朋友小健家玩,媽媽忙著照顧弟弟,我說「去小健家哦」,然後就出門去了。那時穿著舊長靴。那是表哥長大穿不下給我的,我還記得因為才剛收到的,所以很高興。
健ちゃんのうちは隣の建物の5階で、建物は入り口が4つもありました。僕は何回も遊びに行ったことがあるのに、どれがよくわかりませんでした。「右から2つ目の入り口のはずだ」と思って、5階まで頑張って上りました。ドアをノックしましたが、ドアを開けた女の人は全然知らない人でした。
「健ちゃんと遊ぶ」と言いましたが、その人は健ちゃんを知りませんでした。ここに引っ越ししたばかりだったのです。
小健家在隔壁棟大樓的5樓,大樓有4個入口。我雖然去玩過好幾次,但還是記不得是哪個門。我想「應該是從右邊過來第2個入口吧」。努力往上爬到5樓。敲了門,開門的是一位完全不認識的女人。
「要找小健玩」,但那個人剛搬到這裡,不認識小健。
名前を聞かれたので、「みのる」と答えました。家はどこか、父の名前は何か聞かれましたが、僕は答えられませんでした。女の人は僕の服や長靴を調べて、長靴の中にいとこの名前が書いてあるのを見つけました。でも、その名前は僕が言ったのと違うし、住所もないので、女の人は僕を近くの交番へ連れて行きました。
警官が名前とうちを聞きました。僕は名前を教えましたが、警官も長靴の名前を見て、信じてくれませんでした。僕はパトカーで警察署へ連れて行かれました。ほかの警官がまた同じ質問をしましたが、僕はもう何も答えませんでした。
問我名字,我回答「我叫稔」。也被問了家住哪裡?爸爸的名字呢?我都回答不出來。女人看了我的衣服和長靴,發現靴子上有寫著我表哥的名字。但那名字和我說的不一樣,也沒有住址,女人把我交給附近的派出所。
警察問了我名字和住址,我告訴他名字,但警察也看看長靴上寫的名字,不相信我說的。我上了警車帶去警察局。其他的警察也問了相同的問題,我也什麼都回答不出來了。
5時ごろやっと両親が来ました。僕はテレビを見ながら、警官がくれたパンを食べているところでした。両親の顔を見て、大きな声で泣いてしまいました。母は健ちゃんのうちへ迎えに行きましたが、僕がいなかったので、びっくりしました。それで、警察に連絡したのです。両親は警官にしかられました。
僕はそれからしばらくパトカーに乗ったことが自慢でした。
5點左右爸媽終於來了。那時我正吃著警察給我的麵包,在看電視。看到爸媽我放聲大哭。媽媽去小健家接我,但我不在那,嚇了一跳。因此連絡了警察。爸媽被警察大罵一頓。
之後我以搭過警車驕傲了一陣子。
第47課 空を飛ぶ自動車
空を飛ぶ自動
在天空飛的汽車
空を飛ぶ自動車が欲しいと思ったことはありませんか。マンガや映画の中で見たことがある人もいるでしょう。
実は、アメリカのある会社がほんとうに空を飛べる車(スカイカー)を作って、売っているのです。この会社が2012年に発表したスカイカーは空に上がるとき、762メートルの滑走路が必要です。値段は2,300万円でしたが、100人が予約をしたそうです。
そして、次の年にこの会社は垂直に飛べるスカイカーを作っていると発表しました。道が込んでいたら、すぐ空へ上がって、すいている場所まで飛ぶことができるそうです。交通の規則など、まだいろいろ問題があるようですが、実際に運転できるようになったら、おもしろいですね。
在天空飛的汽車
有想過要一部可以在天空飛的汽車嗎?我想有人應該在漫畫或電影中看過吧。
其實美國的某家公司真的發明了並販售會在天空飛的汽車(skycar)。這家公司 2012年發表skycar在天空飛的時候要762公尺的滑行道。價格2300萬日圓,據說有100人預訂。
另外,隔年這家公司發表了可以垂直飛的skycar汽車。塞車時立刻可以升空,飛往其他空的地方。看來還有交通法規等等其他待解的問題,但真的可以在天空飛的話會很有趣。
ほんとうにあるのは?
真的有這種東西嗎?
あると便利な物をいろいろ集めてみました。
收集了各種能這樣的話就太方便了的東西。
〈元気になるズボン〉
年を取ると、足が弱くなる。このズボンをはくと、足が強くなって、歩けるようになるそうだ。
恢復元氣的長褲
年紀大了腳沒力只要穿上這條長褲腳會變強壯可以行走。
〈目薬コンタクトレンズ〉
目薬になっていて、朝、目に入れると、 1日、コンタクトレンズになる。寝るときは、目を洗えばいいそうだ。
隱形眼鏡眼藥水
這個眼藥水早上點會變成隱形眼鏡一整天。晚上睡覺前洗一洗就好。
〈クレジットカードになる時計〉
機械に時計を見せれば、お金が払える。朝から晩までほとんどの人は時計を外さないから、安全だそうだ。
信用卡手錶
給看一下機器形手錶就可以付錢。從早到晚幾乎都戴著錶,所以很安全。
〈電車ヘルメット〉
電車で寝るとき、かぶる。
頭が動かないので、隣の人に迷惑をかけないで、寝られるそうだ。
それに、帽子に降りたい駅の名前を書いておくと、ほかの人に起こしてもらえる。
電車安全帽
搭電車時戴上。 因為頭不動不會給隔壁人帶來困擾,能夠好好睡。
而且,帽子上寫有要下車的站名,旁人會幫你叫醒。
〈折り畳み式の橋〉
地震や台風で橋が壊れた場合に、使われる。
10分で橋ができるそうだ。長さは3メートルから21メートルまである。
とても便利で、すばらしい発明だ。
折疊橋
因地震或颱風橋壞的時候,可以使用。
僅僅10分鐘就可完成,長度約3到21公尺。 非常方便,了不起的發明。
第48課 竹取物語
竹取物語
竹取物語
昔、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいもした。おじいさんは山から竹を取って来て、いろいろな物を作って、売っていました。
ある日、おじいさんは不思議な光を出している竹を見つけて、切りました。中には小さな、かわいい女の子がいました。子どもがいないおじいさんとおばあさんはとても喜んで、女の子に「かぐや姫」という名前をつけて、大切に育てました。かぐや姫はどんどん大きくなって、とてもきれいになりました。
很久以前,在某個地方住著老爺爺和老婆婆。老爺爺到山裡砍竹,做成各種東西來賣。
有一天,老爺爺發現了一棵發出不可思議光亮的竹子,切開後,裡面有個可愛的小女孩。沒有小孩的老爺爺和老婆婆非常高興,將女孩取名為輝夜姬,小心翼翼地扶養。輝夜姬漸漸地長大,變得很漂亮。
美しいかぐや姫のことを聞いて、男たちが結婚を申し込みに来ました。「どうぞ、かぐや姫と結婚させてください。」おじいさんはかぐや姫に男たちの気持ちを伝えましたが、かぐや姫は結婚したくないと言いました。
しかし、五人の男があきらめなかったので、「わたしがお願いした物を探して来た人と結婚します」と言って、男たちを遠い国へ行かせました。かぐや姫が男たちに頼んだ物はとても珍しくて、探すのが大変でした。
一人はインドへ仏の石の鉢を探しに行きました。一人は東の海にある山へ行って、宝石でできた木の枝を取って来なければなりませんでした。一人は絶対に燃えないねずみの皮の着物を探しに中国へ行きました。一人は竜の首の玉を、一人はつばめが持っている珍しい貝を取って来なければなりませんでした。しかし、三年過ぎても、だれも頼んだ物を持って来ることができませんでした。無理なことをして、病気になった男や死んでしまった男もいました。
聽聞有位漂亮輝夜姬的事,很多男士們來提親。「請把輝夜姬嫁給我」。老爺爺轉達了男士們的心意給輝夜姬,但輝夜姬表示她不想結婚。
但有五位男士不放棄。「找到我要的東西的人,我就和他結婚」。令他們到很遠的地方去。輝夜姬要的東西很珍奇,很難找。一人到印度去找佛的石缽。一人必須到位於東海的山上,去拿用寶石做成的樹枝。一人到中國去找不會燃燒的老鼠皮衣。一人找龍首玉,另一人必須拿到燕子的珍貴貝。但是三年過去了,都沒有人拿找到的寶物來。也有人太過勉為其難,生病而死。
天皇もかぐや姫が好きになり、妻にしたいと思いました。何回も手紙で気持を伝えもしたが、「はい」と言わせることはできませんでした。
そして、また3年が過ぎて、夏になりました。かぐや姫は毎晩月を見て泣くようになりました。
「かぐや姫、どうしたの?」
「私はこの世界の者ではありません。月の世界から来たのです。次の満月の晩に月へ帰らなければなりません。それで、とても悲しいのです。」
天皇也喜歡輝夜姬,想娶她為妻。寫了幾次信表達心意,都沒得到答應。
然後又過了三年,來到了夏天。輝夜姬每天晚上對著月亮哭泣。
「輝夜姬,你怎麼了呢?」
「我不是這個世界的人。我來自月亮。下個滿月的夜晚必須回月亮去。因此很悲傷。」
びっくりしたお爺さんは天皇に「かぐや姫を帰らせないでください」とお願いしました。満月の夜、天皇はたくさんの兵隊にお爺さんの家を守らせました。しかし、夜中に家の周りは不思議な光でいっぱいになって、兵隊たらは何も見えなくなりました。月から車が迎えに来たのです。かぐや姫が乗った月の車は空を飛んで行きました。
受到驚嚇的老爺爺要求天皇「請不要讓輝夜姬回去」。滿月的夜晚,天皇派很多軍隊固守老爺爺家。但是,深夜中家附近周圍充滿著不可思議的光。軍隊們什麼都看不見。從月亮來的馬車要來迎接輝夜姬。輝夜姬乘坐的馬車在空中飛。
ところで、かぐや姫は帰るときに、お爺さんたちに贈り物をしました。それは「不死の薬」でした。しかし、お爺さんとおばあさんはとても悲しんで、薬を飲まないで、死んでしまいました。天皇はかぐや姫がいない世界で生きていても、意味がないと思って、高い山の上で薬を焼かせました。それから、その山は「不死の山」から「富士の山」、そして「富士山」という名前になったのです。
就在輝夜姬要回去時,給了老爺爺們一份禮物。那個是「不死之藥」。但是老爺爺和老婆婆太悲傷不喝,就死了。天皇覺得活在沒有輝夜姬的這個世界也沒有什麼意義,在高山上把這個藥燒了。之後,那座山從「不死之山」變成「富士之山」。又之後變成「富士山」了。
第49課 人生
人生
人生
では、新郎新婦をご紹介いたします。
新郎の宝田太郎さんは1971年に京都でお生まれになりました。ことし29歳でいらっしゃいます。1993年にさくら大学を卒業なさって、アップル銀行に入られました。銀行に入られて2年目にアメリカの大学に留学なさいました。学生時代は相撲をなさっていて、料理もお上手だそうです。
那麼,讓我來介紹新郎新娘。
新郎寶田太郎,1971年出生於京都。今年29歲。1993年畢業於櫻花大學後,進入蘋果銀行。在進入銀行的第二年,前往美國的大學留學。學生時代玩相撲,料理也很拿手。
新婦の花子さんは1965年にニューヨークでお生まれになり、パリ、ロンドン、モスクワで子ども時代を過ごされました。国際人でいらっしゃいます。ご趣味はいろいろなものをデザインすることで、特に帽子のデザインがお好きだそうです。いつかご自分の店を持ちたいとおっしゃっています。
新娘花子,1965年出生於紐約。童年在巴黎、倫敦、莫斯科渡過。是一位國際人。興趣是設計各式各樣的東西,特別是喜歡設計帽子。她說將來希望擁有自己的店。
宝田部長はきょう退職なさいます。銀行に入られてから25年、世界中のいろいろな支店にお勤めになりました。働きながら見たこと、考えたことをお書きになり、本を出されました。書きたいことがまだまだあるので、書く時間を作るために、この度銀行をやめる決心をなさいました。デザイナーの花子夫人も賛成なさっているそうです。宝田さんの新しいご出発をお祝いし、ご成功をお祈りして、乾杯!
寶田部長今天離職。進入銀行25年,在世界各地的分店工作過。出了一本在工作時所見、所想的事的書。還有很多想寫的,為了有寫書的時間,這次決定從銀行離職。設計師的妻子花子夫人據說也很贊成。祝福寶田先生的新出發,並祝成功,乾杯!
宝田君、花子さん、ご結婚50周年おめでとうございます。「50年」と口で言うのは易しいですが、ほんとうに長い年月です。50年間いろいろなことがあったでしょう。たぶんけんかもなさったと思います。
これからも健康に気をつけて、お二人で人生を楽しみながら、60周年、70周年をお迎えくだたさい。乾杯!
寶田君、花子夫人,結婚50周年恭喜。「50年」從嘴巴講出很容易,真正是很長的歲月。50年間應該有發生了很多事情吧。我想肯定也吵架過吧。
今後請多注意健康,享受二人的生活。迎接人生的60周年、70周年,乾杯!
宝田さん、どうしてこんなに急にいってしまわれたのですか。何を話せばいいか、ことばが見つかりません。たぶん去年先にいかれた奥様にお会いになりたくて、急がれたのですね。わたしたちはとても寂しいですが、宝田さんは今ごろ奥様とお会いになって、いろいろなお話をなさっているのでしょう。
どうぞ安らかにお眠りください。
寶田先生,怎麼這麼突然就走了呢?該說什麼好呢?我找不到適合的語句。大概是去見您去年過逝的夫人才這麼急吧。雖然有點寂寞,但您現在應該是見到夫人,講著很多很多話吧。
請安息。
第50課 紫式部に聞く
紫式部に聞く
請問紫式部
—— 皆さん、こんにちは。「タイム・マシン」の時間です。きょうは紫式部さんをお迎えしました。紫式部さんは世界で初めての長い小説『源氏物語』をお書きになった方です。では、伺います。紫式部さんは『源氏物語」をお書きになったとき、1,000年後も読まれると思われましたか。
紫式部 いいえ。今の人気にびっくりしております。マンガやミュージカルにもなっているそうですね。
—— ええ。どうして1,000年後の今も人気があると思われますか。
紫式部 いろいろな読み方ができるからだと思います。この小説のテーマは愛ですが、昔も今も愛について人の考え方や気持ちは変わりません。また、平安時代の政治や文化、習慣を知ることができます。
—— 各位午安,這是「時光機」時間。今天我們將訪問紫式部女士。紫式部女士是寫了世界上第一部最長小說『源氏物語』的作者。那麼,請問紫式部女士,在寫『源氏物語』時有想到一千年後還有人在讀嗎?
紫式部 沒有。我很驚訝這本書這麼受歡迎。據說還畫成漫畫和歌舞劇。
—— 是的。您覺得為什麼一千年後的現在,還是這麼受歡迎呢?
紫式部 我想是因為可以透過不同的方式閱讀到。這本書的主題是談論愛情,從古至今關於愛情的想法和心情是不變的。另外,還可以知道平安時代當時的政治、文化和習慣等。
—— 『源氏物語』が外国語に翻訳されているのをご存じですか。
紫式部 はい。こちらへ来るとき、タイムマシンの中で新聞を読みました。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、中国語に翻訳されているそうですね。
—— ええ。チェコ語、オランダ語、モンゴル語などにも翻訳されています。タイ語に翻訳されたマンガもあるそうですよ。
紫式部 そうですか。うれしいです。でも、今の日本人は、マンガは読みますが、本はあまり読まないと聞いております。ちょっと残念です。
—— 您知道『源氏物語』也被翻譯成外文嗎?
紫式部 知道的。來的途中在「時光機」中有讀到。據說翻譯成英文、法文、義大利文、俄羅斯文、中文等。
—— 是的。也翻譯成捷克文、荷蘭文、蒙古文等。據說也有翻譯成泰文的漫畫版本。
紫式部 是哦,真令人高興。但是聽說現在的日本人,會看漫畫,不太閱讀書本了,真是可惜。
—— そうですね。ところで、ご家族を紹介していただけますか。
紫式部 はい。私は20代の終わりごろ結婚いたしました。夫は藤原宣孝と申します。娘が一人おります。結婚してすぐ夫は九州に転勤になりましたが、私はいっしょに参りませんでした。頭がよくて、おもしろい人でしたが、2年後に病気で死んでしまいました。
—— それからどうなさいましたか。
紫式部 天皇の奥様に和歌などを教えする仕事をいたしました。
—— 働きながら、『源氏物語』を書かれたのですね。
紫式部 はい。仕事を始めるまえから書いておりましたが、働くようになってからも続けました。
—— 是啊。對了,可以介紹一下您的家人嗎?
紫式部 我20多歲結婚,丈夫名字叫做藤原宣孝。有一位女兒。婚後丈夫轉調到九州,我未同行。他是一位聰明又風趣的人,2年後死去。
—— 之後呢?
紫式部 我擔任皇后的和歌老師。
—— 邊工作邊寫『源氏物語』嗎?
紫式部 是的。在之前就有寫了,工作之後也持續進行。
—— そうですか。今の時代の人で誰かお会いになりたい方がいらっしゃいますか。
紫式部 はい。私は小説を書く人に興味がありますので、今人気がある村上春樹さんにぜひお目にかかりたいです。
—— 村上春樹さんですか。今度機会があれば、お二人の対談をこの番組でお願いしたいです。
きょうはどうもありがとうございました。
—— 這樣啊。有沒有想和現今的誰見面呢?
紫式部 有的。我對於寫小說的人有興趣。想見一見現在很受歡迎的村上春樹老師。
—— 村上春樹老師嗎?下次有機會請您們兩人一起上本節目。今天真是謝謝您。